モノを捨てよう

来月いっぱいで、東京を去ることになった。今のバイトも来月半ばの給与締め日をもって辞めてしまい、しばらくニート生活を楽しんだ後、28日の給料日を待って帰岐するつもりだ。

そこで昨日から引越しに備えて部屋の片付けをしている。といっても「引越し」とか「部屋の片付け」というよりは、「必要のないモノ」を徹底的に処分し、どうしても捨てられないものだけを段ボールに詰める作業、と言った方が近い。

思い返せば俺が過去、何かしらの変化を試みる時にまずしたことは「モノを捨てる」ことだった。高校1年生の春、某TVKの音楽番組に倣って「平成の大改装」と称して部屋にあった7割以上のモノを処分した後で大掃除と模様替えを決行した。ゴミ袋は35袋にものぼり、よくもこんな大量のモノが狭い自室に埋まっていたものだと呆れたが、小奇麗になった部屋を見て、すっきりとした部屋で心改まったのか、風通しがよくなって頭が冴えるようになったのか、今まで勉強を一遍足りともやってこなかった俺が英語くらいはやってみようかなという気になぜだかなった。仮にも東京外大に合格したのはこの時の心境の変化も大きいだろう。

次にモノを捨てたのは、その外大に通うつもりであるという名目で上京した去年の春のことだ。先に7割以上処分したモノから更に半分以上捨てた。おかげでぼったくり引越し業者を呼ぶまでもなく、引越しはすべて宅配便で済ますことが出来た。日本で引越しをするとやたらとカネがかかる。新生活をスタートする上で、無駄なものに金を使わずにすんだ。

そして今。再び引越しの時が来た。今度はこの前とは逆に岐阜に戻る。だから単に実家に帰るための引越しの準備に追われているだけに見えるかもしれない。しかし今回の引越しにはそれ以上に大きな意味を、個人的に見出している。

ノマドnomad 遊牧民)という言葉がバズワードになって久しい。インターネットで世界中が瞬時に繋がるようになり、いまや航空運賃はバスや鉄道を大きく下回っている。(ロンドンからヒースロー空港に特急で行くより、ヒースロー〜ローマ間を格安航空で行く方が安いことさえあるそうだ。)世界中どこにいようと仕事が出来る人たちにとって、もはや一箇所に定住することが唯一の選択肢ではない。文字通り21世紀は「ノマドの世紀」になり、定住というライフスタイルを捨てる人たちが増えるだろう。

そういった暮らしをする人たちにとって何が必須か。それは今すぐ別の場所に移ることのできるフットワークの軽さだ。大量のモノを所有するスタイルは、その思想に反する。必要最低限のモノを賢く使い倒す、それが彼らノマドのスタイルだ。

俺は小さい頃から「世界中をふらふらさ迷いながる生きること」が夢だった。定住なんぞ糞食らえ、家を買うなんて馬鹿か大富豪のすることだと本気で信じて今まで生きてきた。だが自分の仕事をしながらそういった生活をおくることの困難さも、同時に理解していた。たしかに昔であれば、そういった生活には莫大な金と時間が必要だっただろうし、外国にいながらにして日本にいるのと同じように仕事を遂行するのは不可能だっただろう。しかし先述したように、高速インターネットが世界中に普及し、必要なアプリケーションは「クラウド」の中から取り出してどこからでも使えるようになり、移動にかかるお金も本当に安くなった。そして物流の進歩で必要なものはどこでも手に入るようになった。「世界中をふらふらさ迷いながる生きること」、そんなライフスタイルが現実のものとして選択できる時代が到来したのだ。

これだ。俺はこれから「ノマド」として生きよう。そう決めた。そして引越しに際し、まず大半の蔵書を処分することにした。そして家具も処分する。衣服も処分した。デジタル化できるものは、全てMacBook、そしてiPhoneに詰め込んだ。iPadの登場で、デジタル化できるモノは更に増えるだろう。本もそのひとつだ。蔵書が世界中どこへでも持ち歩けるとなったら、どんなに素晴らしいだろうか。俺が電子書籍事業の開始をもくろむのには、そういった理由がある。

つまり今回の引越しで、俺は「ノマド」としての生き方を選択したのだ。そのために今、不必要なものは徹底的に処分している。これからは、住みたい場所に住みたくなったら住む。たしかに拠点は岐阜に移すが、東京にもちょくちょく行くことになるだろうし、香港やバンコクといった都市も、その行き先に加わるようになるだろう。

岐阜の実家で半月、東京のゲストハウスで半月暮らす。それもいい。そして寒くなったらバンコクのゲストハウスで暮らす。いい感じだ。そのついでにMacBookで仕事をこなし、iPadでエンターテインメントを楽しみながらアジアを周遊。その後岐阜に戻って仕事に没頭、東京でビジネスをこなす........

こういった暮らしが、実現しうることに本当に興奮している。

その実現のためにはまず、モノを捨てることだ。

さぁ、モノを捨てよう。